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あの日の思い出

8年前の今日はまだ仕事をしていました。

勿論現地の方々に比べられないのですが私の人生の中でも一番の体験でした。

しばらくは計画停電でエスカレーターやエレベーターは止まり、神奈川県のスーパーからも物が無くなり、やっとの思いで石川産の5キロのお米を担いで20分の道のりを歩きました。

今では勿論・・・絶対に無理です。145.png


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私はこの時、端末入力の仕事をしていたのですが、女子社員は勿論すべての女子が帰宅させられたのですが、帰れませんでした。
たかがパート、されどパート!

20時過ぎに家に帰ったらガスは止まっていて隙間箪笥の扉は壊れていました。哀しかったですね。

歩いて50分の道のりを恐る恐る帰ったのですが、この会社の男性は何かあったとしても助けてはくれない。と身をもって感じ、その年の秋には会社を辞めました。

今でもその時の光景は忘れません。


毎年3月11日になるとあの日の夜、そこだけがまるでスポットライトを浴びている様な明かりの下でパソコンを作業している私を思い出すのです。



3月20日ごろ、母の施設の帰り

勿論電車も間引き?車内灯が一部消されていました。
帰りの19時ごろ我が街から2つ目の駅にいて揺れを感じました。
毎日、本当に地震が多いですが、私鉄の急行の止まらない寂しい駅なので、人もまばら・・・・。
こういう所で遭遇すると、本当に怖いです。隣に座っていた20代の男性が「大丈夫、大丈夫。俺、いわきから来たけど、このくらい大丈夫。」と言っていました。

この20代の男性の何と頼もしい事か!

パート先の男性はワンマン経営者の下でかなり余裕のない鬱積をした生活をしていましたので、こんな時にもダメおやじなんですね。
そんな親父を見るのは忍びない・・・・。

悲しいなぁ・・・サラリーマン・・・・。






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by ma-kom | 2019-03-11 11:45 | 思い出 | Trackback | Comments(0)