2016年 07月 10日
最後の締めはぴょんぴょん舎の冷麺かと思いきや果実園のパフェでした。
この辺には
義経北行伝説と言うのがあって義経は生きのびて北へ?今に残る足跡は、夢か現実か。
史実は「平泉で自刃」だが・・・
幼時は牛若丸として、長じては勇将・九郎判官義経(1159〜1189)。奥州藤原氏のもとに身をよせていたことなどから東北とのゆかりの深い武将です。
兄・源頼朝のために数々の武勲をたてながら、その才ゆえに疎まれて命をねらわれ、平泉で自刃。短い生涯を終えました。
ところがこの史実に対し、「平泉で自害したのは実は家臣で、義経は北へ逃げ延びたのではないか」という説が、今も根強く残っています。
800年前の幻に出会う旅
事実、東北各地にそれを裏付けるような伝説が数多く伝えられており、義経一行が立ち寄ったり滞在したとされる社寺・屋敷はかなりの数にのぼります。
岩手県の「伝説・義経北行コース」は、県内に残る義経の逃避行の足跡36ヵ所をたどる道行き。義経は宮古にも長く滞在したとされており、ゆかりの伝説も豊富です。
800年以上の時を越えて、私たちに夢を与えてくれる悲運のヒーロー義経。その幻に会いに、伝説のルートをたどってみませんか。
実を言うと若い時に高木彬光の「成吉思汗の秘密」を読み義経が東北へ逃げ延びたと言うロマンに大いに浸った時期があります。
もう少し若く、元気であればこの辺の旅もしてみたかったですね。
とにかく歩けないので無理をせず、大人しく代替えのバスに乗って盛岡まで行きました。
盛岡にも前に一度来た事があるのですが、こんなに大きな駅だったのか、忘れていました。
バスで駅に向かう途中に素敵な建物が見えて興味を持ったのですが駅から歩くとなるとちょっと遠い・・・。
ここは、今は「啄木・賢治青春館」として利用されているが、元々は旧第九十銀行本店本館。
建物は、明治43年(1910年)12月竣工。設計は、横濱勉、工事監督は元岩手県立工業学校助教諭の久田喜一。石材には市内川目産の花崗岩が使われている。様式はロマネスク・リヴァイヴァル。やはり国指定重要文化財。
入館は無料。クラシック音楽が流れる館内の入って右手に喫茶コーナーがある。
最初から盛岡見物の予定を取っていたらもう少しいろいろ廻れたかとも思うけど、取りあえず体調が完全に回復している訳では無いので盛岡ではぴょんぴょん舎の冷麺を食べるだけにして早めに岐路に着く事にしました。
ぴょんぴょん舎は南口を出てすぐ近くにありました。
コラーゲンたっぷりのスープと言う事で結構有名みたいでした。お店も綺麗です。
820円でした。
銀座にもありましたが、同じものが1000円でした。
妹は更にお得なランチを注文して残していましたね。
こうして予定通り東京駅に着いたのですが、今回の旅で本八戸のおだわらさんへ行っていない事に気が付きました。
せっかく早めに東京駅に着いたので果実園に寄ってパフェを食べて帰る事にしました。
サクランボが17個とマンゴの季節のパフェ→1,500円
プリンアラモード→950円
満足満足!
嬉しいニュース今月1日に新宿南口に新店舗がオープンしたそうです。
こうして、ラッシュ前に我が家に帰る事が出来ました。
こうして長々と投稿していると玉にしか覗かない友人は「一体何日行っていたの?」と言いますがたった三泊四日の旅でした。私の体力ではこの辺がギリギリの所かなと思いますね。
次回の大人の休日パスは11月24日(木)~12月6日、1月19日(木)~1月31日なのでどちらも温泉しか楽しみが無い・・・・・。妹は一緒に行ってくれないと思うので、また来年になるのかしら
来年は下北半島に行きたいと思っています。
今から資料集めをしないと・・・・・。
それでも、ちゃんと選挙には行って来ましたよ。