2015年 11月 13日
二日目ー五所川原ー金木ーウェスパ椿山
今回の旅の目的の一つに太宰治の疎開の家がありました。6月ごろまだ芥川賞に決まっていない又吉さんがテレビで訪問をしていたのを見たのです。太宰が原稿を書いた座布団に長い間座っていたと言う情景を見た時に何故だか無性に行ってみたくなりました。
ただ、その場所がこんなに不便だとは・・・・。
まず、五所川原と不老不死温泉の宿をキープしたのが7月でした。
五所川原の駅から近いホテルサンルートはその時すでにツインは満員でした。(当日はキャンセルが出たのか空いていたのですがどういう訳か一人分1000円もアップだったので、そのままシングルで済ませました)
さて、問題はリゾートしらかみ号が取れるかどうかで金木の見学が危ない・・・・。
リゾートしらかみの予約は一か月前からなので、それまでひやひやものでした。
どうにか15:15発リゾートしらかみが取れたので、午前中に金木の見物が可能になって来ましたが、これまた津軽鉄道の本数の少なさに泣きました。
結局10:30分発に乗って12:51金木発で帰ってくることにしました。その間荷物はホテルに預けましたが
駅には大きなコインロッカーもありましたよ
JR五所川原駅と津軽五所川原駅はお隣にあるので15:05着でも間に合ったのですが、金木でそれだけ時間をつぶすのはちょっと大変だったみたい。
金木の駅事態はモダンだったのですが、街は閑散としていて悲しいくらいでした。
あんなに拒絶された故郷だったのに今では太宰治だけで成り立っていると言う感じです。
斜陽館までの間に昭和23年に曳き家された新座敷が「太宰治疎開の家」として2007年から公開されています。この新座敷に昭和20年7月から昭和21年11月までいて23の著作を執筆したようです。
元々は大邸宅の離れの部屋だったのですが戦後津島家が手放し、母屋は斜陽館として旅館になりましたが、この新座敷だけを引き離し政界に復帰した三男兄ー文治さんが金木の居宅として使われていたようです。
太宰が大好きな青年が案内をしてくれます。
太宰の負のイメージを一生懸命弁明するその姿は本当に好きなんだなぁ~と思いましたね。
11:00から20分間津軽三味線会館で生演奏が行われます。金木が発祥の地だそうです。
斜陽館の目の前にありました。
生家は明治の大地主の富がどれだけ凄かったのかを物語っていますが、太宰の生家でなかったらこれだけ補修して国の重要文化財に指定されたでしょうか?ここまで良く残っていたものです。
兄への手紙に芥川賞が間違いないと言う意味の手紙がありました。
負の印象が強すぎて取れなかったのでしょうが、
今で言う所のNHKの紅白歌合戦や大河ドラマに出るような・・・・地元の人に認めてもらえる方法が唯一そこにあったと言うのは、あれだけ反発して来たのはなんだったのか?
私はずーっと「太宰は芥川賞なんか取らなくても良いのです」と思ってきたけど、初めて地方の風土と言う事を感じたような気がしました。
太宰にはもう少し生きてノーベル賞でも狙ってほしかったですね(笑)
ちなみに私の高校の時の読書感想文のテーマは太宰でした。
金木発12:51分→津軽五所川原13:10着の電車に乗ります。
途中駅嘉瀬にはこんな列車が
津軽鉄道嘉瀬駅には廃車となったキハ22028が留置されています。キハ22028は旧国鉄キハ22を津軽鉄道が譲受し たものです。車両には珍妙な塗装が施され「落書き列車」となっていますが、これはSMAP香取慎吾のデザインだそうで、平成12年にこの塗装での廃車とい うことになりました。
このテレビ中継をリアルタイムで見ていました。地元の子供たちと一緒に描いていましたね。月日の経つのは早すぎて怖いくらい。
五所川原についてランチを食べました。
立佞武多館の隣にある市場中食堂のやってまれ丼
250円でやってまれセット(ご飯と吸い物・漬物)を注文して、後は好きなおかずを個別で購入します。
凄いですよね。これで750円(250円+500円)妹と半分こして食べました。妹は他にグラタンも食べていたけど
そして、15:15分発のリゾートしらかみ4号に乗って不老不死温泉を目指します。
明日にしようかと思ったのですがきりがないので続けます。
お天気が今一つだったので憧れの日没は残念でした。
宿に着いた頃には暗くなったので海辺の露天は使用禁止です。
食事は安いコースでも食べきれませんでした。ネットで予約すると割引がありますよ。