2012年 09月 13日
台湾一周ー台南・高雄へ
彼が盛んに言うのには「昭和24年まではここは日本だったよ」
1945年10月25日に台北で日本側の安藤利吉台湾総督・第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は台湾の実効支配を開始した(台湾光復)。ただし、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾島地域は依然として日本国の領土であった。
1949年10月1日の中華人民共和国成立に伴い瓦解した国民党が政府機能を台湾に移転してからは、中華民国政府の実効支配範囲とほぼ重複するため、国共内戦後の中華民国の通称としても用いられている。現在も中華民国と中華人民共和国の双方で係争中(台湾独立運動)である
蒋 介石(しょう かいせき)は国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年より台湾に移り、大陸支配を回復することなく没した。
この蒋介石さんはかなりの独裁者だったらしく、台湾での人気はあまりないみたいです。
前回のガイドさんも今回のガイドさんもどちらかと言えば日本側で、中国はあまり好きでは無いみたい。
日本統治時代の方が良かったと言う声も聴きました。
途中で台湾のダム造りに心血を注いだ八田與一さんのビデオを見せられて感動したのですが、これって日本人向け?
当時アジア一といわれた烏山頭ダムと1万6000キロにおよぶ灌漑用水路の建設(1920年着工10年を要した大規模土木事業)にあたり、人情味のある現場責任者として農民に慕われた。
嘉南平野はサトウキビすら育たなかったといわれる。八田與一が建設したダムと1万6000キロにおよぶ網の目のような用水路のおかげで台湾最大の穀倉地に変わった。
台湾と日本の深い歴史を私たちはあまり知らない事にガイドさんはビックリしていました。
台南市内観光 赤嵌楼及び延平郡王祠
こんな小さな島なのにオランダやスペインの植民地になっていたらしいです。
ここはオランダ人によって建てられた城で、当時、プロデンシャ城(紅毛楼)と呼ばれ、植民地行政の中心になっていたところだそうです。
高雄市内観光 澄清湖・蓮池潭
名前の由来のハスは一つだけ・・・。
眺めの良い所で高層マンションが沢山建てられていました。普通のサラリーマンでは手が出ない金額らしいです。
この日の夕食は高雄の海鮮料理と言う事でみんな期待をしていたのですが、今回の旅行で一番×でしたね。
さて、食事の後は高雄の夜店散策です。
こうして、長い長い2日目が終わりました。